短編集『さよならバイバイ。また逢う日まで』
観劇レポート(文章:小阿瀬達基)
──それではどうぞ、次の季節へ。
春は別れの季節──ということで、「アトリエ三軒茶屋Vol.3」は「別れ」をテーマにした短編集です。『いまこそわかれめ』、『ウルドル』、『沼袋第3号踏切にて、3月』……いずれも二人芝居ですね。
ちなみに、今回はほとんどの客入れ楽曲がフリーBGMだったような気がします。前に観劇させていただいた「アトリエ三軒茶屋vol.1」では、客入れで使われていた楽曲が主題と少しリンクしていたように思うのですが、今回はそこでの遊びはなかったみたいですね。
音響といえば、卓にいた脚・演の1人である池田さんがヌッと立ち上がって急に店員の役をやっていてウケました。三編のうち、はじめの作品でのことですね。では、その話から……。
『いまこそわかれめ』(脚本:目崎剛(たすいち))
卒業式からカフェへと直行したのか、証書をテーブルに置いて読書をしている諏訪(演:角田さくら)。黒髪ロングの清楚な見た目の彼女と対照的に、そこへやってきた同級生……?の桐場(演:一丸さくら)は、耳にはピアス、派手な金髪といういでたち。2人は「仰げば尊し」の歌詞、たとえば「我が師の恩」「はやいくとせ」──そして「今こそわかれめ いざさらば」の意味について、話し始めます。「今こそ」の「こそ」とは、どういう意味なのか。「今は」なのか。「今が」なのか。そして、二人は「卒業」の意味も問うてゆきます。……結論、卒業とは「もうここにいちゃダメ」ということ。
歌詞の意味に、卒業の意味……これは「意味」を問うてゆく物語なんですよね。それだけに、今作は「これはどういう意味があるのだろう?」「これ、こういう意味だったのか……」と思わせる演出が三編のなかで最も多かったです。 印象的なのは「席には二人いるはずなのに、店員の持ってきた二つのカップが両方とも桐場の方に置かれる」こと、そして何より「いかにも女子高校生らしい出立ちの諏訪に対して、同じ制服を着ていながら一回りか二回りは年上に見える桐場」でしょうか。いずれも、のちの展開で演出が効いてくる良いポイントでした。
今作は基本的に、諏訪、桐場の二人が喫茶店の椅子に座ったまま続く会話劇です。座り方に性格が出ていて良かったですね。動きがない分、画をつくってゆくための工夫が試されただろうなぁと思います。
特に良かったは、桐場の手ですね。足を組んでいて少し行儀が悪いようにも見える彼女ですが、手はきちんと膝の上に乗せていることが多くて。一見、諏訪とはキャラが違うように見える桐場ですが、もしかすると彼女もかつては黒髪の清楚な高校生だったのかもしれない、と色々想像が膨らみます。もしかすると、ああやってきちんと膝に重ねられた手はそんな過ぎし日の名残りなのかもしれません。少なくとも、あそこまで派手な容姿が高校生に許されるかといえば……なかなか難しいでしょうし。
それと、桐場は右腕の仕草がいちいちシュッと決まっていてカッコよかったですね。座ったままでの派手な動作が多い諏訪と対照的に、あまり姿勢を崩していなかったのも印象深いです。これは演じた一丸さんによる上半身の使い方なのだろうな……と思いましたね。ひんぱんに動かしていたのは基本的に右腕だったと記憶していますが、キレがあって見応えがありました。一回、指を鳴らしていたのもやたらとスタイリッシュでしたね。「足を開いたまま云々」と、諏訪に指摘していたのを見るに、やっぱりマナーなんかもきっちりしている真面目なタイプなのかなと思います。
逆に、諏訪は言葉に合わせて背もたれにぐいっと体重をかけたり、逆に桐場の方へ一気に前のめりになったり……椅子に座ったまま動ける範囲をめいっぱい動いている感じが元気で良かったです。演じた角田さんが動きに合わせて表情をコロコロ動かしていて、真横から見ているはずなのに眼の演技がわかりやすかったですね。
また、椅子に座ったままの派手な動きには、「諏訪はおそらく、あの椅子からほとんど離れることができないのだろう」という寂しさも強く感じさせられました。卒業式をはじめとした式典では「起立」の合図で立ったり、座ったり、そして最後には出て行ったりするわけですが……椅子から立ち上がり、歌いながら退場していった彼女はきっと無事「卒業」できたのだろうと思うと、嬉しいです。
『ウルドル』(脚本:池田智哉)
寒空の下、ビルの屋上に座っているのは優華(演:未綾南香)。アイドルを引退し、グループを卒業する彼女のもとへやってきたのは後輩メンバーの美帆(演:海月てまり)。卒業後の進路を聞かれ、少し恥ずかしそうにしながらも答えた優華は「ウルトラマンをやっていく」ことにするらしい。……?よくわからないが、indeedで求人を見つけたのだそう。ウルトラマンの。世界で起きている戦争、SNSでの論争や物価高といった社会不安、そうした問題を解決する正義の味方──ウルトラマンになるのだ、と優華は語ります。
それはどういうことなんだ!?と言いたくなる突飛な設定ですが……本作はとても王道の、未成熟な存在が「大人になる」ことを決意する物語です。登場人物がアイドルというのも、成熟を扱う作品としてはベストだよな、と感じます。「成長を応援するのがアイドルの醍醐味」といった言い方がなされるように、女性アイドルというのはまず前提として未成熟であること、そしていつまでも応援できるような余地が常に残っている程度には未成熟であることが求められる側面があるから、ですね。とうに成人したアイドルが、ときおり運営を「大人」と呼んだりする場面がありますが、これは「アイドル」と未成熟さ結びつきを強く感じさせられる語彙だな……と感じます。
それはともかく、優華はそんなアイドルをやめ、世界で起きている様々な問題を解決できるような大人になるのだ、と言います。そのためのウルトラマンだ、というわけですね。アイドルとウルトラマン、まったく違うようで「変身」という共通点を指摘できるかもしれまけん。同時に、アイドルも特撮作品もオタク趣味であり、かつてほどではなくても「いい大人が真剣にやるものではない」すなわち未成熟な趣味である、と軽んじられているように見える、という共通点も。どうでも良いですが、ウルトラマンの活動時間と言われる「3分」は、だいたいアイドルが歌う一曲の長さと同じくらいではないでしょうか。
この二人芝居では、優華が強めにフォーカスされていましたね。美帆は主にリアクションを担っていて、「まだ「卒業」はできない後輩」としての役をまっとうしていたように思います。とはいえ、美帆役の海月さんが強いキャラを演じているのをいずれ見たいなとも感じました。彼女は前髪がちょうど目にかかっていたのですが、髪型のおかげで完全に隠れているわけではなく、目の主張がすごく強かったんですよね。眼力あるなぁ……と思って見ていました。それと、良い意味で思ったままのことを喋っている軽い感じがよく出ていて、どうもミステリアスな感じの先輩(優華)とも、打ち解けているのだろうなと想像させられましたね。
一方で、「正直、ちょっと何考えてるかわかんないよね……」と他メンバーから思われていそうな優華。彼女の「なにか隠しごとがある感」はすごかったですね。演じた未綾さんの醸し出す雰囲気、彼女のもつ技術なのだと思いますが、最後まで本当のところがわからないキャラクターが際立つ、掴みどころのない演技でした。きっと、優華はアイドルとしても「キャラ」を大事にするタイプだったんじゃないでしょうか。
印象的だったのは、美帆が屋内に戻った直後の優華。アイテムを取り出し、右手を天に掲げて「変身」する直前の気恥ずかしそうな表情。アイドルとしての私、ウルトラマンとしての私、そのどちらもが入り混じった「素の私」とでも言うべき姿を見せてくれたのは、あのラストシーンのみだったのかもしれません。
『沼袋第3号踏切にて、3月』(脚本:池田智哉)
踏切の前に立ち、電車を待っている自殺志願の女・洋子(演:高月陽里)。そこやってきた警備員の女・果歩(演:若葉美奈)が、そこに立っていられると邪魔だから移動しろと指示する。果歩は気だるげで、洋子が死のうと死ぬまいとどうだって良いが、警備員である以上は自分の担当エリアから人をどかす責任はあるのだと言います。それでも動かない洋子に、「今日は線路閉鎖をしているので、いくら待ったところで電車は来ない」と告げる果歩。
洋子の自殺には目的がありますのだといいます。今日はこれまで彼女を酷く扱ってきた彼氏の誕生日であり、その日を自分の命日にすることで、彼に消えないトラウマを植え付け復讐しようとしているのだ、と。その目論みを聞いた果歩は一転し、洋子の自殺に協力しようと前のめりの態度を取ります。その急変に困惑を覚える洋子、熱に浮かされたように自殺方法を提案する果歩。しばらくして、踏切の警報音とともに、来ないはずの電車がやってきて……。
岸田國士の傑作、『命を弄ぶ男ふたり』のインスパイア戯曲です。始まってまず目に飛び込んできたのはめちゃめちゃ派手な服!すごい柄だな、と思っていましたがそのうち気にならなくなっていったので、慣れってすごいですよね。幕開けの、踏切の前に洋子が直立不動で立っている場面はそれなりに長かったのですが、迫力のある凛々しい表情で場を持たせており、ほとんど気になることはありませんでした。
果歩はヘルメットをかぶっているため表情が見えづらく、おかげで得体の知れなさが増していたのが良かったですね。洋子の身の上話を聞きながら、だんだんと悪い表情に変わっていくのが最高でした。最後には洋子を新たな決断へと踏み切らせた……ということ自体は果歩の功績といえるかもしれませんが、普通に趣味が悪いやつであることも間違いないと思います。
この作品で描かれるのは、意思を抑圧し、主体性を失っていた自分との別れです。洋子が「殺される」のではなく「殺す」ことができるようになるまでの物語……と言い換えても良いでしょう。まず、彼女が企んでいたのは「私はあなたのせいで死んだ、つまりあなたに殺されたんだ」と彼氏に思い知らせてやる!という目論みです。それは自殺であって、自殺ではない。
果歩がたびたび口にしていた言葉を借りれば、洋子の自殺における「責任」の所在は彼女自身ではなく、彼氏に帰すことになっています。これまで自分の意思を抑圧し、彼氏に従ってきた洋子は、その癖が抜け難く染みついてしまっている。 「あなたのせいで死ぬことになった」という自殺において、自殺を選ぶ「わたし」本人の意思は限りなく透明化しています。仮に予定通り自殺を成功させてしまったとすれば、それは洋子が最後まで自らの意思で選択することを忘れたままに迎える死だった……と言えるでしょう。
けれども、洋子は自死による復讐を中止します。そうして、自分の意思で人生をリスタートすることを決める。その覚悟を応援し、熱くハグをする果歩。こいつは結局どういうやつなんだよ!生物の教師に教わった「一番美しく死ねる自殺方法」を熱弁してたときはもっとヤバいやつ感あったけど!?というか、そんなことを生徒に教える教師はマジでクビにした方が良いんじゃないだろうか……。
そんなわけで、三編三通りの「別れ」を描いた短編集でした。
個人的には『いまこそわかれめ』が好きでしたね。一番「別れ」観に共感するものがありました。
寂しい思い出を振り返ると寂しくなる、それは当然です。けれども、楽しかった思、い出を振り返ったときも、やっぱり寂しくなってしまう。なんだか不思議な気もしますが、それは前に進まなくてはならないから、なのでしょう。
楽しい思い出を振り返るだけで、楽しい気分になれるなら、私たちはもう誰も、新たな楽しい思い出をつくるために一歩先へ進むことをやめてしまう。だから、いくら懐かしくて、大好きでも、もうここに留まってちゃいけない。
「今“は”別れましょうか」
「どうして?」
その問いに答えるとすれば──次の思い出をつくるため、なのだと思います。すでに訪れかけつつある次の季節で、新たな楽しみと出会えることを願って。
